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フェルマーの最終定理 その2
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前回に続き、サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」という本について紹介します。
イギリス人のアンドリュー・ワイルズが数学史上最も難問と言われたフェルマーの最終定理を証明したことは、当時一大センセーションでした。
数学界のノーベル賞といわれるフィールズ賞でワイルズ(当時45歳)は特別表彰されたぐらいです。
(フィールズ賞は40歳以下という年齢制限がある)
私がこの本で知ったのは、この証明には日本人の数学者が出したあるアイディアが不可欠だったということです。
このアイディアは、戦後間もない1955年、日光で開かれたシンポジウムで発表されました。
提案・定式化した二人の数学者の名前を取って谷山・志村予想と呼ばれています。
(数学での予想とは、証明はされていないが多分間違いないだろうという考え。)
谷山・志村予想は、数学界にとって壮大な発想だったようで、今なおこの思想に基づく理論研究が続けられており、現代の数学界における統一理論の礎になっているようです。
(ちょうど、物理学で相対性理論と量子理論を統一しようとする試みのように。)
さて、フェルマーの最終定理の話に戻します。
アンドリュー・ワイルズは、若いころからこの証明に情熱を注ぎこんでいました。
幾多の障害や挫折の末、谷山・志村予想を証明することがフェルマーの最終定理を証明することに繋がったのです。
しかし、学問が着実に発展していくのとは裏腹に人の人生が儚いことをこの本は語っています。
提唱者のひとり谷山豊は発表の数年後、31歳の若さで自死してしまいます。
そしてその婚約者もあと追って自死するのです。
そして一方、証明をひとつ成し遂げたことは謎がひとつ減ったことになります。
ワイルズが言います。「みんなが私にこう言うのです。きみは問題を奪ったのだから、その代わりになるものをくれ、と。」